さて、2019年も残すところあと数日になりました。
個人的に今年の振り返りを行います。さて今年はどんな1年だったかな。
2018年も実は総括をしていたみたい。こうやって節目節目で残しとくとあとあと自分にとってとてもふりかえりやすくなるなと思います。
2019年の漢字を決めてみた
2019年の漢字は「動」!
2019年の漢字は「動」
・東京から長野、ペルーと大移動。
・ペルーに来てからは喜怒哀楽で沢山の感動があった
・現場に行きたい!と動くことを意識した活動
そんな理由でこの漢字を当てました。2020年は、常夏の大地で暑さに溶けながら現地にもっと溶け込みたい。
「溶」が似合う一年にしたいです。 https://t.co/r7GozOca5u— いくみ@ペルー🇵🇪 (@1kdt_1) December 27, 2019
こんな感じで「動」がぴったりの1年でした。
ブログにもまとめています。 👉2020年の今年の漢字は「令」。私も今年の漢字、決めました。
自分でも「動」をあてていいのだろうか、と思うほどにタンボグランデでの日々は動けなくてモヤモヤすることも多かったのですが、それほど意識した漢字でもありました。
2020年は、現地にもっと溶け込みたい。
ペルーという国の性質上、旅行などで周りたい場所もたくさんあるのですが、私も最初はいろんな場所を訪問してペルーを多角的に知りたいと思っていたのですが、どうもそれが最近しんどいなと思うようになりました。
また、JICA海外協力隊は20日間の任国外旅行制度があり、日本を含め海外の国に年に20日なら行ってもいいとされています。みんなそれがあるので、20日きっかりいろんなところに出かけるのですが、別に義務でもないので笑、自分はどうしようと思ったとき別に行かなきゃいけないわけじゃないし、もっとこの町にいようかなと思うように最近なってきました。
任地を離れれば離れるほど、戻ってきたときに任地から距離をとられているみたいで寂しかったり、現地のイベントに出席できなかったり、友人に遠い存在に感じさせてしまったり。
そういうことがちょっと辛くもありました。
息抜きも含め、また任地を客観視するために、任国外や国内旅行をすることは悪いことだとは思いません。しかし自分の中での感情があまりそれに対し背中を押さないのも事実。
もっと任地に親しんで溶け込みたい、2020年はそんな年にできたらと思います。
1月から3月、駒ヶ根訓練所での日々
そうですか、、駒ヶ根訓練所は今年の話なのですか。。。!!
と思うくらい遠い昔のことのように感じる訓練所時代。今年の話なんですね。笑
東京から4時間離れた長野県の駒ヶ根訓練所での日々は毎日が濃すぎて時間なんて足りなくて、「楽しい」という言葉の最上級があるならそれで表現したいくらい最高な時間でした。
78名のスタート。シニアボランティア13名が35日で訓練を終えると青年は65名になりました。
2018年度4次隊は最後の4次隊であり、平成最後の隊次でもありました。
4次隊自体そもそも人数が少なく、78名という数はみんなと仲良くなるには最適な人数だったのだと思います。
私が感じるところ、とても平和に楽しく過ごした70日間、のどから手が出るくらい恋しい日々は最高な仲間たちと終えることができました。また帰国してみんなに会えるのが今から楽しみです。(関連ブログ👉70日間、お疲れさまでした。〈訓練70日目〉)
4月、日本出発とペルーの首都研修
さて訓練も70日で終わり、その後2週間と時間を空けずにペルーに旅立つことになりました。
南米でも大都市のリマは最初から都市をイメージしていましたが、その通り大都市であり、何でもそろう街でした。
ペルーの同期は私を入れて4名。血液型もみんなばらばら、身長も駒ヶ根訓練所同期一ののっぽと駒ヶ根訓練所同期一のちびっこが集まったこのメンバーは最高にでこぼこしており、それでいて自立もしていて仲も良く、楽しい首都研修を過ごすことができました。
3週間の首都研修、詰込み型で首都を散策するほどの余裕もなかったけれど、今思うとあれは本当にペルーなのかと思うくらい、不自由のない日々でした。(関連note👉”大都市”リマに触れる)
5月から9月、不安定な日々
任地に到着したのは4月24日。
そこから数か月、今思うと不安定な日々が続きました。
言葉については、ペルー北部の言葉の速さは異常に早いらしく、他の地域で2年近くいる隊員も理解できなかったりすることがあるくらい、早いそう。
首都研修のリマや駒ヶ根訓練所では、私、6割くらい理解できるようになった!と思っていました。スペイン語についての自信もついたし、結構勉強したほうだと思っていたのですが、任地に到着して早々、それが勘違いとうぬぼれであることを痛感しました。笑
駒ヶ根も首都研修も、もちろん簡単な言葉で、ゆっくりとした口調で、少ない単語数で先生は話してくれていたのでしょう。
はじめまして、と任地について挨拶をして、相手からの質問も自己紹介も何もかも、全然聞き取れない。これは本当に困りました。
首都研修で6割行けた!と思う自分の語学力は、任地に来て1割しか、、に変わりました。言葉って不思議ですね。
そんな話から始まり、まずは水問題。1か月半は毎日お腹を壊していました。医者には任地の水は沸騰させても飲めないといわれる始末。任地にちゃんとしたものを食べられるようなお店も少なく、それでいて我が部屋にキッチンもなく自炊はできないので、とても困り果てたのを覚えています。(関連note👉1か月の腸不調)
4月から7月の3か月は特に、任地の人の「時間」の感覚に惑わされまくりの日々でした。頭で解っているのにイライラしてしまう、言葉も未熟すぎてコミュニケーションがとれない。
またこの数か月は、自分の未熟さを本当に痛感する日々でもありました。
他の隊員と勝手に比較して、環境や待遇の違いに落ち込んで、ペルーのこともちっとも好きになれなかった。
自分で自分に言い訳して、私が悪いんじゃないと正当化したくて、そんな日々でした。
自分でもそれじゃだめだとわかっていても、なかなか元気になれなかった。
25年間慣れ親しんだ東京を離れて初めて一人で暮らす海外にとまどい、期待も幻滅もし、誰よりも自分に落胆しました。
だからこの日々を抜け出せたとき、とても嬉しかった。未熟で不届きな、半人前の自分を受け入れられたとき、とても嬉しかった。これは本当に学びでした。(関連note👉「私はペルーで2年間自分なりに過ごそう」と腑に落ちたことについて書こう)
任地の人と自分の経済環境の違う土地で育ったもの同士としての溝を埋められないことが悔しく、悩んだ時もありました。
協力隊員は、生活が保障されています。いくら遠い何もない土地に来たからとはいえ、恵まれすぎるくらいに恵まれているのです。
現地の課長レベルの手当てに、JICAという後ろ盾、困ったら帰れる日本と日本の国籍、今まで見てきた環境の発展度合い。
どんなに現地の人化しても、なくせない壁があります。
どんなに心を現地においても、「違う人」として見られてしまいます。
これが、何より辛かった。
自分が考える思考回路が、こちらとは全く違っていて、何もかも捨ててここに飛び込みたい、そう何度思ったことか。
でも自分には日本で待つ家族や友人、そして大好きな大地日本があって、それを手放す気は、結局のところない。
どんなにもがいても、あがいても、結局は高みの見物なんです。
だって現地の人は日本人には(そう簡単には)なれないもん。
そんな自分の立場の弱さ、現地の人に対しての申し訳なさ。
きれいごとを言って国際協力?なんじゃそれ。
現地の土地を利用して勝手に訪れて、そして去る。はじめから守られた環境にいる日本人である私に、この町の人たちが幸せを感じる何かの手助けはできるのだろうか。
どんなに頑張ってもなくせない壁があると感じたときの絶望と、現地の人たちへの申し訳なさ、そういったものが9月までは私を苦しめました。(関連note👉慣れ親しんだものを食べても満たされない)
でも、そういうのはもちろん今もありながら、ポジティブに楽しく暮らせています。10月からの3か月は特にいい意味で吹っ切れた月でした。
10月から12月のバタバタ期
10月に、なぜか力がすっと抜けて、任地のことが大好きになりました。(関連note👉タンボグランデが任地で良かったと思った)
私と任地の間に、なくせない壁は確かにある。現地の人に対しての自分の存在の申し訳なさも、確かにある。でもそういうのがすっと身体を通り抜けるように自分の中に納得することができるようになって肩の力が抜けました。
それならそうでしょうがないじゃん!、だとしても自分がこの町に出来ることがあるならぜひやらしていただきましょう。そんな感じ。
はっきりと言えるのは、「日本人」であることを手放さない以上、私たちと現地の間に見えない壁はあります。
しかし、それを本当に理解してからが初めて自分にできる国際協力なのかなと思いました。
壁の存在をしっかり受け入れて、じゃあそのうえで私は何ができるのか、「日本人」を利用して「違う人間」だからこそ、私に何ができるのか。
ここでいう私の「なにができるのか」というのは、ペルーに来る前に思っていた単なる「外部者」としてというのとはちょっと違うと感じていて、
もちろん外部者だからなのですが、もっと深い理解のもとに行きついた「なにができるのか」だと私は感じています。そうだといいなと思います。
現地に来て感じた苦しみや疎外感、そういうのを感じせずして、フィールドに出たことのなかった私が外部者がなんだらと、そういう風に考えていたのと同じ語りをしているわけではないと、そういうことを言いたいです。
自分の身のもとを理解したうえで、同時に自分の任地への愛着もあって、大切に思う人が増えてきて、というのがこの10月から12月の3か月。
任地のことを「好き」になってからの毎日の輝き方はその前とは違っていました。
ちょうどマンゴーの季節が始まったというのもあり、私の活動はマンゴーなくして語れないので、ようやくこの季節が来たか―という感じ。
そのうえで学校の訪問も2019年の大詰めを迎えたり、
11月下旬から12月頭までは国内旅行と公務を合わせて2週間という過去最大に任地を離れたり、12月に入ってからはイベントのマドリーナという役でいろいろな準備があったり、
そうかと思ったら誕生日とクリスマスがどんどんとやってきてお祝いしてもらったりお祝いしたり…。
そうしてこうして、このように記事を書く今日を過ごしています。
この3か月は早かったなー。
2019年のまとめと2020年への決意
この時点で4000字近くの文字数。笑
2019年なんて、もういろんなことがありすぎてまとまりません!!
でもある意味青年海外協力隊は13歳のころからあこがれていて、初めて24歳で応募して26歳で遠い国ペルーにくることになって・・・
長い長い時間をかけてここまでたどり着いて、考えることもひときわだし、自分にしか感じえない思いみたいなのもある気がします。多分それは各自あるんじゃないかなー。
沢山の出会いに感謝し、大切な人との別れに涙しました。
昔から未来志向型だし、妄想は人並み以上の人間だけれど、
「先延ばし」にせずに、今あるものを目の前にあるものを、一瞬一瞬を大切にして過ごしていきたい。そう感じるようになりました。
一期一会。本当にそう思います。
任地での知り合いはたぶん200名以上います。
私の名前を知っている人だったら2000人近くいくかもしれません。
受け入れてもらえること、ここにいていいということ、日本と世界中で応援してくれる人たち。本当にありがたいです。
本当に、この町にいること、青年海外協力隊になれたこと、それが嬉しくて日々が大切すぎて、失いたくないもののある毎日を送っています。
2020年は、いくつか旅行に行くとはいえ、丸々一年、ペルーのこの大きくて小さい町で過ごすことになります。
一方日本では、東京オリンピックがあり、私の友人の結婚や出産の話もたくさん飛んでくるでしょう。
そういうものに耳を傾けたとしても、それにとらわれることなく、貴重なこの町にいる時間を存分に現地の人と楽しみたいと思います。
2019年の自分にお疲れ様、そして2020年の自分にエールを送りたいです。