国際協力

原体験はフィリピンでのこと。<ストリート・チルドレンの出会い>が私を変えた

はじめに

 

様々な人との出会いで価値観や考え方が変わることがあると思います。

 

その多くは自分が選択した想定される世界でよりも、

偶然にも訪れた場所や、偶然にも出会った人や、たまたま口にしたものから、

感情が揺さぶられたり、刺激を受けたりすることがあります。

 

私も今まで意図して選択したものよりも、たまたま偶然出会ったり口にしたものから価値観や考え方に影響を受けることがありました。

 

そして私の中で大きく考え方が変わった出会いの一つに、フィリピンのストリート・チルドレンとの出会いがあります。

その出会いのおかげで、今、国際協力に興味を持ってその世界を生きようとする自分がいます。

 

その出会いを受け、今や国際協力のフィールドを通らずして私の未来はないとまで考えていますが、

その出会いについて、どのように考えてその後どのように変化したのか、ここでは書きます。

家族でフィリピン旅行にいったときのこと

中学2年、13歳のころ、家族でフィリピンに旅行に行きました。

その時フィリピンはそこまで有名ではありませんでしたが、セブ島などの一部のリゾート地は日本で名前が挙がるくらいには認知されていました。

 

当時13歳の私はフィリピンという国を知ることもなく、ましてや先進国と発展途上国という言葉も、ストリートチルドレンの存在も知りませんでした。

そんなフィリピンのリゾート地、セブ島に家族で行きました。

 

フィリピンは日本より物価が低く、日本のリゾート地に行くのと同じか、もしくはそれより安く、行くことができました。

日本の近くにある島国。アメリカとか、中国とか、ヨーロッパの国よりは有名でない国。あんまり知られていないっぽいけど、どうやら海がきれいらしい。

そんな感じのイメージを持っていました。

初めて感じた「開発途上国」の空気感

フィリピンのマニラ空港。

飛行機を降りるともわっとした空気。

その時感じた「異国感」、まだ覚えています。

マニラからセブ島に行く飛行機に乗るため大型の車で家族で移動。現地の方が運転をしてくれました。

町中に出ると、たくさんの車。

わあ、外国に来たんだ!と感じました。わくわくしていました。

明るくて暑くてざわざわしている空港。でもそんな情報からはここが「開発途上国か」なんてわかりません。

フィリピン=開発途上国というイメージは、日本に帰ってから数年して社会の授業で学んでから付いた概念。

マニラ空港に着いたときは、日本とは違う国に来たんだ!というポジティブでわくわくした感情に包まれていました。

ハワイやオーストラリアのシドニーに降り立った時となんら印象は変わりませんでした。

ましてやストリート・チルドレンの存在を予想することさえあり得ませんでした。

ストリートチルドレンとの出会い

マニラの市内をバスで移動中、たくさんの車が行きかっていました。

信号は日本よりも少なくて、みんな横断歩道もない道を高速で走る車をくぐりぬけて横断していました。

すごいなあ、なんか危ないけど大丈夫かなあ、活気はあるんだけど。。という印象。

 

少し車を走らせるとすぐに渋滞。

渋滞中、減速する私たちの車のもとにたくさんの子供たちがやってきました。

彼ら彼女たちは何かを欲するように私たちの車に近づいてきました。

 

なにかをくださいという表情。

ぼろぼろの服。

自分と同じかそれより小さい子供たち。

私たちを見る強いまなざし。

 

何が起きているのかわかりませんでした。

「何が起きているの?」と父に聞きました。

「ストリート・チルドレンだよ」と教えてくれました。

若いころに世界一周をしたことのある父はすぐに何か起きているかを理解していました。

 

「この子たちは何をしているの?」と私が聞くと

「俺らに何かください、お金をくださいっていっているんだよ」と父が応えました。

 

びっくりしました。

この子供たちの存在に驚きました。

 

そして父が続けて言いました。

「ここにいる子たちはね、明日を生きれるかわからない子もいるんだよ。

こうしてお金とか食べ物とかもらって、生きている。お家もない子もいる。」

 

「私たちは何かしたほうがいいんじゃないの?お金?食べ物?」と私が聞くと

 

「何かをしないほうがいい。

もちろんこういう状況になって何かをあげたくなる気持ちはわかるけど

みんながあげたらこの子たちがそれで生きていけると覚えてしまう。

何もできないのはつらいけど、優しく何かをあげることが正しいとは限らないんだよ。」

と父が言いました。

 

私は起こったことがショックすぎて、

ホテルに着くまでずっとぼーっとしていました。

その間たくさんのことを考えました。

あのとき父はそういう風に言ったけれど、

本当に何もしてあげなくてよかったのか、ずっと考えていました。

これからリゾート地に行く私と、出会った子供たちの違いについても考えていました。

フィリピンという国にも恐れと興味を抱きました。

先進国と開発途上国ってなんだろう

今でも強く感じているのは、

私とその子供たちの違いでした。

 

私に何か才能があるわけではありません。

私が世界的に優れて生まれたわけではありません。

神様から認められて特別に生を受けたわけではありません。

 

私とその子たちは、生まれた環境だけが違ったのです。

日本で生まれただけ。フィリピンで生まれただけ。

でも私には両親がいて、たまに海外旅行や国内旅行にいく金銭的余裕がありました。

その子たちはもしかしたか家族も家もないかもしれない。

生まれた場所が違うだけなのに。

なんでこんなに差があるんだろう。

この差って何なのだろうと思いました。

 

ましてや、私は経済的格差を利用して物価の高い日本から物価の安いフィリピンにきて海外旅行を楽しんでいる。

私がすごいわけじゃない。

日本が経済的に恵まれているだけ。私の両親がすごいだけ。

だから生まれた場所で生きる道が決まるのは、そんな不公平なのはよくないと思いました。

この子たちのために何かしたい、そう強く思ってからは国際協力にずっと興味を持ち続けています。

私の国際協力への思い

詳細は別の記事に書きます。

でもこの出会いからずっと興味を持ち続け、人生の岐路に立った時にいつも考えています。

私がどのように生きていきたいかを考えるうちのひとつの指標になっています。

中学2年のときの、あの出会いに今も感謝しています。

 

このブログでは、私の国際協力、国際交流についても少しずつ発信をしていきたいと考えています。

最後にひとこと

私は私の国際協力をします!!