生き方・働き方

私が「寄付」を始めた理由

こんにちは、いくみ(Twitter@1kdt_1)です。

タイトル、私が「寄付」を始めた理由。のおはなし

 

ずっと寄付があまり好きではなくて、たまに大きな災害があったりして気が向いたときにお金を入れたことはあったりしたけれど、今まで「寄付」に対してあまりいいイメージを持ってこなかった。

 

理由は本当にちゃんと届くべきところに届くのかがわからなかったから。

 

これは、もちろん恥ずかしながら私のリサーチ不足もあるし、

ただよくわからない団体に寄付してそれがどんな風に使われるのか、その団体のポケットマネーになったらやだなあなんて思うことで寄付を先延ばしにしてきた。

 

でも青年海外協力隊に行って、自分でも意外な理由によって寄付をしようという気持ちが芽生えた。

ちなみに、寄付というのは誰かに言われてするものではないから、自分がしたいと思ったらすればいいと思う。だから私も自分がしたいと思うその時まで、寄付はあまりしてこなかったのだった。

 

青年海外協力隊に行って、感じたのは己のスキル不足。

こんなにがんばっても力を注いでも、意味なんてあるのかなと思った。小娘1人が町に入ったところで何か良くなるのだろうか、目の前の大きな壁に何度も直面しながら、無力さを感じまくった。

 

もう一つ感じたのは、きれいごとじゃなくてお金が必要ということ。

活動していく中でお金の大切さを身にしみて感じた。人が入るだけではだめ、お金がないと動けないものもある。資本主義社会において経済的な事情は現地だって同じ。一方で協力隊員はお金がほとんど使えない。予算もつかない。だからこそ、お金があるとないとで良くも悪くも全然活動が違ってくることも理解した。

 

国際協力とか社会貢献はいろんな形がある。現場に行って活動するのも一つだけれど、現場に行って活動している団体が活動しやすくするための支援をすることだって立派な国際協力であり、社会貢献だ。

ペルーからは志半ばで帰国して、またいつか戻って自分に出来ることはやろうと思うし、自分の選択や行動を恥じてはいない。でも自分にできる別の国際協力もあると思った。いや、今までだって現場に行くことだけが国際協力ではないとは思っていた。ただ実際に現場に行ったからこそなのか、それを身にしみて感じた。

 

プロに、託そうと思った。

 

自分に出来ることは精いっぱいやった。でもそれでもかなわないところは、プロに託したい。そういう気持ちが強く芽生えた。お金が必要なこともよく理解した。そういうところにお金を使いたいと心から思うようになった。だから私は寄付を始めることにした。

 

自分が、お金を使ってほしいと思う団体に毎月、多くないけど少しでもと、今後も寄付し続けられる金額を。

現場で働くプロたちを心からすごいと思った。心から応援したいと思った。自分に出来ない部分はプロを支援する形でかなえられたらと思った。

 

青年海外協力隊として一時帰国をしたあとすぐ始めた。

寄付先からは毎月お便りが来る。私のお金がどんな感じに使われましたよって。

年末に届いた寄付の総額を見ながら、もしこのお金で現場の人たちが働きやすくなったり、困っている人に使えるお金が少しでも増えて、誰かの生活が少しでも豊かになったなら、それはとっても意味のあることだなと思う。そういう気付きが得れたこと、青年海外協力隊に参加して現場に行ってみてよかったと、思った。

 

納得して自分で選択できることが幸せ。人から押し付けれらるものではなく、「寄付」に対しては自分で自分の中の「現時点の正解」を導き出せてよかった。

そんな私の寄付を始めた理由でした。