青年海外協力隊

「待ち力」の大切さ【青年海外協力隊の活動中には2つの「待つ」を取り入れたい】≪訓練18日目に考えたこと≫

駒ヶ根訓練所18日目です、楽しいです。

 

ところで、

「2年間、簡単な会話とちょっと専門的なことを説明できるようになった言語で途上国にいって、これこれの活動をしてきましょう。」

と言われたら、あなたはどうしますか?

 

青年海外協力隊(とその候補生)の悩み

 

青年海外協力隊になるうえで、訓練生はたくさんのことを考えます。

協力隊として派遣されている間もたくさんのことを考えます。そして悩みます。

 

悩みの一番は

「どのように活動すればいいのか」

という点について。

 

私も合格通知を2018年の2月にもらってようやくもうすこしで1年が経ちます。

この1年間の間にいろんなことを考えました。

私はどのように現地の人と接すればいいのか

現地はどういうニーズをもっているのか

現地に行ったのになんにもできなかったらどうしよう

私のどんな部分が現地に行ったときに強みになるのか

私のどういう経験やスキルが、現地の人が住みよい暮らしをするために役立てられるのか

 

その問題提起はこれからもずっと続くのだと思うのですが、

今回はそんな活動のなかで「待つ」ことの大切さを紹介したいと思います。

 

2つの「待つ」とは?

 

ここでいう「待つ」にはちょっとした細かい「待つ」と大きい意味での「待つ」の2つの「待つ」があります。

 

1つ目の「待つ」とは、

現地の人たちと活動するとき現地の人たちが気付きを得たり、現地の人たちから意見が出てくるのを「待つ」、という意味です。

 

2つ目の「待つ」とは、

積極的にどんなことをしに来たか、自分はこの村でどんなことをする予定だ、自分はこんな成果が求められていると最初から声高に言わずに、相手がなにか必要になったり誰か必要になったりアイデアや提案を求めてきたときにはじめて登場するまで「待つ」、という意味です。

 

1つ目の「待つ」

 

さて、1つ目の「待つ」ですが、上に書いた通り

現地の人たちと活動するとき現地の人たちが気付きを得たり、現地の人たちから意見が出てくるのを「待つ」、という意味です。

 

ワークショップをしたり、農家を周って調査をすることがあると思うのですが、

相手が気付きを得る前に、もしくは意見を言う前に、自分から考えや意見を言うのは危険だと思うのですね。

というのも、「あー…たしかにそうだね。私もそれが必要だと思う」と言わせかねないから。

 

たとえば、自分の町にまあまあ偉い人が来たとして、お金とか持っているしデキる起業家だったりして、でも真面目にすっごく町のこと考えてくれたりする人が来たとして、

周りのいえや自分の家を周って調査するその人に、何か困ったことはありませんか?と聞かれて「近くにコンビニがなくて。。車で5分走らせないといけないんです」といったとき、

『それでは、近くにコンビニを作ったらどうですか?』

と言われたら、そっか!近くにコンビニがあればいいのか!作ってください宜しくお願いします!

ってなりますよね。

そこにあるのは村が本当に必要なものは何かとか自分がどうしたいかというよりとりあえず外部から凄そうな人来ていろいろやってくれそうだからお願いしとこー!というメンタルなのかなと思います。

 

でも2年後も変わらず住んでいるのは私たちではなくて村人たちなので、そのプロジェクトには村の人々の意見や考えを取り入れて村人主体でやってもらう必要があります。

だから意見を聞く前に、意見が出る前に、村人の考えがまとまる前に、自分がぱっと来て必要と思ったものをあげるのではなくて、

現地の人たちからのこれが必要だから、ここを改善しないといけないからこういうプロジェクトをしよう!という意見が出るまで待つ。この姿勢が求められるのではないかなーと思います。

 

2つ目の「待つ」

 

村に急に日本人現れたら、(なんか来た!何してくれるんだろう!わくわく)ってなりますよね。

そんなときに積極的に○○しにきました!とか▽▽の隊員で村では◆◆が求められているそうなのでそれをやります!とか

そういう風に言う場合もあるかもしれないんですけれども、最初からそれを言っちゃっていいのかなあって今考えていて。特にコミュニティ開発隊員なので私は。

もちろん聞かれたらそれなりに何かは答えなきゃいけないんですけど、それを最初から言っていっちゃうと向こうの人も「それ要員」と認識するじゃないですか。

でもそれって活動狭めちゃったり村人を受動的にさせちゃったりするのかなって思うんです。

だから声高に自分は何しに来たとか言わずに、もし村人がHELP必要になったら様子見に行くとか、あ!あの子いたね!ってなって自分のとこ来てくれたら出ていくっていうのも村人が主体的になるきっかけになるのかなって思うんです。

焦っちゃうと思うんですが、

「私いろいろやります!!!」ってひと来たなあって思ってもらうよりも、

とりあえず日本から女の子が来てその辺ぶらぶらしてんなって思ってもらったほうが主体性?とか生めたり活動の幅広がったりするのかなあって思いました。

 

ポジティブな「待つ」を活動に取り入れたい

 

2つの意味での「待つ」、重複する部分もあるかもですが、大きい意味でも小さい意味でも「待つ」を取り入れたいなと思います。

 

「待つ」って一見消極的でネガティブに見られがちだと思います。

協力隊に行く前からなに待つとかいってんだ!!って怒られるかもしれないですけど。

でもここでいうのはポジティブな意味での「待つ」です。

自分からいろいろ言って行動するのは正直言って村人を信じて待つより簡単です。

でも本当に村人のためを思うなら、ポジティブな意味での待つを取り入れたい。

自分から先に答えを言わずに、自分から先に方向性を示さずに、

もし村人が何かをしよう!となったときには全力でサポートできるような、そんな愛のある活動をしてこれたら理想ですね。

「待ち力」。極めたい(*’▽’)!!!