自然との共生について感じること。
個人的なボヤキです。(笑)
少し前から自然との共生という言葉がうたわれてきました。
それなりに「ふーん」って思ってきました。
最近福島に行ったり岩手に行ったり、有機栽培を進める農業学校に行ったりしたのですが、なんとなく、自然との共生について考える機会が多く、この時点でとりあえずアウトプットしたいのです。
昔から日本は自然と近い生活をしてきました。
八百万の神。
日本人の考え方のどこかには、自然への畏怖の念を忘れず、そこにある水、山、岩、物、木やすべてに魂が宿るという考え方があるように感じます。
それは昔から日本は自然災害が多く、自然と切り離した生活はしてこなかったから。
私たちのご先祖様はずっと昔から「自然と共生」してきていたんですね。
自然に畏怖の念をもち、自然に感謝し、自然とともに生きる。
その考え方は、たしかに世界に住む先住民族とも共通するところがあるような気がします。
一方、歴史は進み、西洋の文化や考え方が入ってくるとともに戦後はアメリカのスタイルをとることが増え、どんどんと自然と共生という考え方は失われてきました。
一次産業への影響も大きく、生態系のスタイルを崩すような「分断」が各所で行われてきました。
動物(消費者)と植物(生産者)と細菌(分解者)のバランスが崩れ、
動物の糞や食べ残しは「産業廃棄物」として捨てられるようになりました。
本来土に返るはずのものが返らなくなり、栄養が失われ、それは植物や土中の細菌にも影響を及ぼしています。
たとえば戦後、日本はたくさん針葉樹を植えました。広葉樹は経済的価値が低いですが、針葉樹は真っすぐ伸びるため経済価値が高いからです。
そして林業の自由化が進み、植えられた針葉樹は放置されました。
日本の木はとっても値が高いです。東南アジアなどから入ってくる木の方が安いのでそちらを利用します。日本の木はさらに値が高くなり、売れなくなりました。林業従事者も激減しました。
たくさん植えられて放置された針葉樹は現在土砂崩れの一つの要因となって人間の生活を崩しています。
人間本位で経済的効率を優先させた結果、自然の生態系サイクルが崩れ、植物は根を張れなくなり、自然災害があちこちでおきるようになりました。
自然にとっても人間にとっても悲しい結末。
これをとめるには私たちひとりひとりになにができるのでしょう?
自然と生きる。
日本は東西南北、とても細長い地形をした島国です。
四季折々の自然があって、夏には台風、冬には寒波、でも桜や紅葉もとってもきれい。
そんな自然とともにある国だからこそ、日本にあった自然との生き方をしていかないといけない。。
そんな風に思います。
様々なものが産業化し、分断され、私たちは本来知っている自然の中での当たり前を知らなくなっています。
私たちに何ができるのでしょうか?