【奇跡のリンゴ】「絶対不可能」を覆したリンゴ農家さん。木村秋則さんのお話を読んで思うこと

 

「奇跡のリンゴ」を読みました。

 

私が奇跡のリンゴの話を聞いたのは2018年9月ごろのこと。農業の研修を行っているとき言葉だけ「奇跡のリンゴ」というフレーズを耳にしました。

そして2018年11月に岩手県の酪農家、中洞正さんのなかほら牧場を訪れて、木村さんのお名前と奇跡のリンゴというフレーズをまた聞くことに。

 

どうやらとても有名な人らしい。特に農業界隈、そして有機農業の世界ではとてつもなく有名な人らしい。

「奇跡のリンゴ」という名前の通り、何かリンゴですごいことを成し遂げた人なのだろう。そんなイメージをもって手にした一冊の本、「奇跡のリンゴ」をこの度読んでみて木村さんの生き様や農薬を使わずにリンゴを育て上げたその人生を知りました。

 

「リンゴは農薬散布で作る」と言われるくらいきめ細やかな農薬散布が必要とされるそう。そんななか、無農薬でリンゴを作ると決めてから、貧しい暮らしをしようとも、周りから嫌なことを言われようとも、世間の風当たりが強かろうとも、その信念を曲げずに農薬のないリンゴ栽培を目指された木村さん。

 そんな彼の生き様、そして無農薬でのリンゴ栽培の気づきから学んだこと、考えることがありました。

ここで共有させていただこうと思います。

 

☆本ブログ引用元・参考元の出典☆

奇跡のリンゴ

「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録

著者:石川拓治

発行所:株式会社幻冬舎

発行日:2008年8月20日

ISBN 978-4-344-01544-9 C0095

木村さんの無農薬リンゴ栽培の夢

 

1949年に青森に生まれた木村さんは幼少期、機械に夢中になって育ち、その後もコンピュータや電気、アンプやオートバイなど、メカニズムを追求する青年に育った。その後川崎の会社で働いたりするも、少しして青森に帰ることに。

その後中学校の同級生と結婚をして婿養子になり、農家を継ぐことに。

 

本音を言えば、私はトラクターをいじりたくて百姓に本腰を入れたというわけだ

—「奇跡のリンゴ」p.41—

と言う木村さんが無農薬のリンゴを作るように志したのは妻の美千子さんが農薬に過敏な体質だったことがきっかけ。

そのあとひょんなことから福岡正信さんの書いた『自然農法』という本と出会い、「何もやらない、農薬も肥料も何も使わない農業」に百姓として興味をもったといいます。

 

 耕すこともなければ、田植えをすることもない。農薬も肥料も必要ないというなら、世の中の農家が苦労してやっていることはいったい何なのだろう。

—「奇跡のリンゴ」p.55—

 

リンゴに農薬を使うというのは常識以前の話で疑うこともなかったのに、福岡さんの本を読めば読むほど、病気や虫からリンゴを守ることは本当に農薬なしに出来ないのだろうか、と湧く疑問。

それから誰もが不可能だと思っているリンゴの無農薬栽培をやるという決意が生まれたといいます。

そこからの木村さんとそのご家族の無農薬栽培のリンゴを成功させるまでの長い日々が始まります。

無農薬栽培のリンゴを目指した6年間

 

虫や病気になっては農薬に代わる何かを探し、それを試し、無農薬のリンゴを作るべく朝から晩までリンゴの畑に誰よりも長くいて調べたり様子をさぐりました。

次第に貧しくなるにつれて電話代も払えず回線が切れ、健康保険料も払えず、子供たちの洋服や学用品も買ってあげられない日々。

周囲からはあきらめろと言われたり虫が寄ってくると迷惑がられたり、「かまどけし」という津軽弁の最悪の渾名で呼ばれるようにもなったといいます。

 

この木村さんの奮闘の箇所は私も眉間にしわをよせて読みました。このブログには深く長くは書けないので、どうかぜひ、「奇跡のリンゴ」を読んでいただければと思います。

 

奇跡のリンゴ

「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録

著者:石川拓治

発行所:株式会社幻冬舎

発行日:2008年8月20日

ISBN 978-4-344-01544-9 C0095

 

そして6年も試行錯誤の末、自ら命を絶つことで無農薬リンゴのチャレンジを終わらせようと木村さんは考えます。

「森の木々は、農薬など必要としていないのだ」という気付き

 

無農薬でリンゴを栽培する。

それが自分の天命なのだ。

(中略)木村はいつしかその夢を実現するためだけに生きていた。

木村の夢は、木村そのものだった。

けれど、その夢は潰えたのだ。

木村秋則に出来ることは、もう何もない。

—「奇跡のリンゴ」p.118ー

 

そう感じて死を決意し、やれることはもうやったためこれ以上すべきことはないと誰にも見られない場所を選びロープをもって木村さんは山を登り続けました。

そしていざ場所を選びロープをなげたとき、遠くに飛んで行ったロープを追いかけて出会った自然の中に存在するドングリの木。

農薬が撒かれているはずのないこの場所に葉を輝かせながら枝を伸ばすその木の存在を前に木村さんが気が付いたこと。

それは

「森の木々は、農薬など必要としていないのだ」

ということ。

 

そう、そうなんですよね。

確かに農業と言えば化学肥料を使って農薬を使って行うのが一時期の主流で、近年有機農業なども取り入れられるようになりましたが、いつの時代も森の木々は誰が管理することもなくそこに存在している。

その違いって何なのでしょう。

本を読んでいて、木村さんの人生を追っていて、山を登ってその命を絶つという文脈をたどる中、そこに答えがないのかと悲しくなりました。切なくもなりました。

ただその先に農薬が撒かれることのない森の木々との出会い。そしてその土の違いに気づく。

 

目に見えないものを見ること

 

よく、農業は「土いじり」と言ったりします。

私も、昔から農業に興味はありましたが、本格的に足を運ぶようになったのはつい最近。それまで農業に大切なのは「水」だと思っていました。

小さいころよく植物などを育てたと思うのですが、そこで気を遣ったのは水の量やタイミングだったので、それからずっと、農業には水が何よりも大切だと思ってきました。

ただこの1年福島を旅したりして、放射能の被害にあった福島の土の研究を知ることによって、土のその重大さに気が付きました。土のやわからさ、そこに含まれる養分、温度、微生物。そういったものが植物を作ってくれる。

自分にはもう何もできることはないと思っていたのが、まるで嘘のようだった。何もできないと思っていたのは、何も見ていなかったからだ。目に見える部分ばかりに気を取られて、目に見えないものを見る努力を忘れていた。

—「奇跡のリンゴ」p.129—

 

ひとたび農薬をまけば、雑草も減る分自然のバランスは崩れるため人間が農薬や肥料を使って管理することになります。

農薬をまかなければ自然のバランスは人間が手を入れなくても進んでいきますが、弱肉強食の世界で我々が作りたい作物が作りたいように育てるのは大変困難となります。

自然のバランスというのは気温であったり湿度であったり虫や風、気候、病気、他の植物の植生、微生物、土の栄養、水様々なものが絶妙なバランスで保たれているのだなと。そこに少しでも農薬が入ればバランスは変わってくるし、農業というのは本当に奥が深いんだと考えさせられます。

目に見えないものだからこそ、難しい。

でもだからこそ、作りたいものが穫れた時の喜びや達成感、自然への感謝は実際にその自然のバランスを一番そばで見ている人なのだろうなと思います。

 

 リンゴの木は、リンゴの木だけで生きているわけではない。周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている。そしていつの間にか、自分が栽培している作物も、そういうもんだと思い込むようになったんだな。農薬を使ことのいちばんの問題は、ほんとうはそこのところにあるんだよ。

農薬を撒くということは、リンゴの木を周りの自然から切り離して育てるということなんだ。(中略)農薬の影響で、土の中の生態系が変化してしまったんだろうな。(中略)生態系は無数の生き物の活動によって生み出されるものだからな。

—「奇跡のリンゴ」p.131ー

 

 

前に『発酵』と『腐敗』の話を聞きました。

どちらも菌が活性化した際に使われる言葉です。

チーズや農業で使う「ぼかし」には『発酵』という言葉を用います。

一方、生ごみなどには『腐敗』という言葉が用いられます。

その違いはなんなのでしょうか?

 

その答え。

実は、人間にとって都合のいいものは『発酵』、都合の悪いものは『腐敗』という言葉が用いられています。

どちらも菌の繁殖が進むのには変わりないのに、人間の価値観で「食べられる」「食べられない」だの、「臭い」「臭くない」だので『発酵』『腐敗』と用いられる言葉が違います。

この話は私も大変興味深く、いかに人間中心で言葉が作られそれを利用しているのかを考えさせられる例でした。

そして奇跡のリンゴの本の中ではこのように語られています。

 自然の中には、害虫も益虫もいない。木村はその当たり前の真理に気づいたのだ。

人間が害虫と呼ぶ虫がいるから、益虫も生きられる。喰う者と喰われる者がいるから自然のバランスは保たれている。そこに善悪はない。病気や虫の激発にしても、バランスを回復させようとする自然の働きなのではないか。

—「奇跡のリンゴ」p.154-

 

 自然の中には、害虫も益虫もいない。それどころか、生物と無生物の境目すらも曖昧なのだ。土、水、空気、太陽の光に風。命を持たぬものと、細菌や微生物、昆虫に雑草、樹木から獣にいたるまで、生きとし生ける命が絡み合って自然は成り立っている。その自然の全体とつきあっていこうと木村は思った。自然が織る生態系という織物と、リンゴの木の命を調和させることが自分の仕事なのだ、と。

—「奇跡のリンゴ」p.156-

 

誰よりも農薬を使わずにリンゴが自然の生態系のバランスの中で育つその姿やリンゴの一生を知っているのは木村さんなのではないでしょうか。

様々な研究者がその畑に興味をもつほど、そして多くの消費者が木村さんのリンゴを待ち望んでいること、そして多くの農家が木村さんのことを評価すること、その事実がそれを証明しているかのよう。

「私は百姓だからな。(中略)百姓は百の仕事という意味なんだよ。百の仕事に通じていなければ、百姓は務まらないのさ。」

—「奇跡のリンゴ」p.183-

と木村さんは言います。

虫の一つも研究して農業をやっていく、その百姓の仕事の奥深さをまじまじを見せていただきました。

私も将来は農業をやって暮らしていきたい身。この本を読んで、木村さんの言葉を聞いてその生きざまを見て、学ぶものはたくさんありました。

百姓としていきるとき、何かに迷ったらこの本を手に取りたい。

木村秋則さんは無農薬のリンゴをこの世に教えてくれただけでなく、人間がこの先農業をとおして自然とどう付き合っていくか、関わる際に大切なことを、彼の人生を通して教えてくれました。

彼の自信作、奇跡のリンゴが私も食べたいです。