ほっと一息コラム

2月14日を前に思い出すバレンタインのはなし

2月14日が近づくと、思い出す話がある。

バレンタインを知るきっかけバレンタインのもう一つの顔

 

バレンタインデーは、

チョコレートを女性が男性にあげる日

 

日本では、いつからこれが「当たり前」になったのだろう。

少なくとも私が5歳のころには、すでにその「文化」は出来上がっていた。

 

保育園の年長生。5歳の時、私は「バレンタインデー」を知った。

いつもの通り登園すると、いつも仲良くしているA君と、いつもちょっぴりいじわるしてくるB君が私に「くださいポーズ」をしてきた。

何事かと不思議に思い尋ねると

「今日は女の子が男の子にチョコレートを渡す日なんだぞ」と教えてもらった。

そうなのか~と純粋に感心する私。

「小さな先生方」からその文化を教えてもらったのが私が初めてバレンタインデーの存在を知った記念日だった。

その日の夕方に、チョコレートを溶かしてカラフルな銀色の小さなカップにチョコレートを固め直し、新しくできた「手作りのチョコレート」を次の日の朝持って行ったのだった。(私の記憶が正しければ・・・)

 

そんなかわいらしい思い出から月日は経ち、小学生になり、中学生になり、高校生になった。どの時期にも逆チョコや友チョコ、義理チョコ、そしてマイチョコなどあるにしろ、誰かから誰かにチョコレートを渡すという「文化」が前提のもと、世間は動いていった。

そんなバレンタインデーは日本だけと聞いたり聞かなかったりしながら、世の風潮に流されたり流されなかったりしながら月日は過ぎ、私はただそこにあるバレンタインデーを私なりに楽しんでいったのだった。

 

そして、バレンタインデーのもう一つの顔を知ったのは大学生の時だった。

どうしても行きたかった語学留学。短期で行けることに。選んだのはロンドンだった。

2月上旬、街の中では「お花」を無理やり渡してきて金銭を請求してくる輩もいて(海外行くときはいろんな言いがかりをつけてお金を請求されたりするから気を付けてね)、お花を持っている人に警戒しながら過ごしたのをよく覚えている。

2月中旬、以前より多い、お花を売る人たち。怖い、なぜ増えたのだと、警戒を強める私。

(絶対にあの花はもらっちゃだめ、お金要求されちゃう!!)と心の中で警戒をしながら過ごしていると、ある日を境にそれが私の誤解だったことに気が付く。

その2月14日。人々が、街にたくさんあふれるバラのお花屋さんからバラを買っているのをたくさん見かけたのだ。

そしてその人々は私が見る限りみんな男性で、待ち合わせ前にバラを買って、女性が来る方向から隠してもって待っている、、、!なんと素敵な・・・!✨

私が警戒していた2月中旬ごろ急増したお花屋さんに共通するのは、みんなバラのお花屋さんであったこと。そして無理やり渡すのではなく、2月14日のバレンタインに向けて、お花を売っていたのだった。

「日本では女性から男性にチョコレートを渡す日」と先入観のあった私にとって、「バレンタインだから男性が女性にバラを用意している」と気づくのに少し時間がかかった。

ドキドキしながら待ち合わせ場所でバラを隠しもって待つ殿方の様子を見て、その日が2月14日と知った瞬間、バレンタインデーの別の顔を知ったのだった。

やはり女性から男性にチョコレートを渡すのは、国際スタンダードではなかったのだ!その発見の瞬間だった。

 

新しいバレンタインの顔を知って、ほほえましくなるとともに

バレンタインデーというのは別に誰かが誰かに何かをあげるだとか決まったものではなくて

ただ誰かに何かをあげたい人が、それをする一つのきっかけになる日なんだなあと思った。

どれも正しくて、どれも間違ってない。縛られることも義務を感じることもない。自由でいいのだと。

 

ところで、ペルーのバレンタインデーもまたちょっと違って面白かった。

2月14日は、恋人同士、夫婦同士が少しおしゃれなレストランなどに行って一緒に過ごす日。プレゼントなどを交換し合う。もしくは友人同士で楽しく過ごす日。

町の中心地に出ると、人々が自分の大切な人と楽しそうに過ごす様子が見れた。まるで日本のクリスマスみたいだった。

 

バレンタインが近づくと毎回思い出す、5歳のころの話とロンドンの話。

これからはペルーの話も追加されて私の「バレンタインデー」はアップデートされていくのだった。