前に簡単にタンボグランデという任地について紹介させていただきましたが、この記事ではもっと詳細に、協力隊員がどんなところでどんな生活をしているのかを紹介しようと思います。
ペルー北部コスタの常夏の町!
ペルーは海岸地域、山岳地域、熱帯地域の3つに大きく分かれ、そのエリアごとに文化や気候が大きく異なると言われています。
海岸地域はコスタ、山岳地域はシエラ、熱帯(アマゾン)地域はセルバと呼ばれます。なんとセルバはペルー国土の6割を占めるほど大きな地域。一方マチュピチュなどがあるのはシエラで標高も高くなります。最近注目の標高5000メートルを超えるレインボーマウンテンもこのエリアにあります。そして首都リマがあるのはコスタ。コスタは砂漠気候やステップ気候のエリアも多いです。
私の任地はペルー北部のコスタにあります。赤道が通るエクアドルへは車で2時間くらいの場所にあり、気候も常夏です。年中暑く、12月から3月の夏は家にいるとサウナ状態。。常夏で、年中昼間は半そでで外を歩けます。
農業の町!
コスタに属するといっても海までは3時間のタンボグランデ。山岳地域シエラへも3時間くらいで行けます。そんなタンボグランデは盆地にあり、農業が盛んです。人口の8割くらいは農業従事者。特にマンゴーやレモンの生産量はトップクラスなのです。
フルーツは安く、マーケットもにぎわっています。
町が中心にあり、その周りに200近くの集落が囲むようにして存在します。真ん中にピウラ側があり、水が流れない南側は比較的貧しく、水がくる北側は比較的富んでいるようでした。とれる作物も川の両側では異なります。
陽気で人と人の距離が近いオープンな町
スーパーマーケットはなし、人口は12万人以上
経済規模的に行政単位が「町」なのですが、町の大きさや人口の大きさは周囲の「郡」よりも大きな町でした。人口にすると数えられる人で12万人以上、面積は香川県の7割ほどを占めました。
しかし経済規模では周りの郡より小さいため、スーパーマーケットはなく、人々は町の中心に一つあるマーケットや集落の市場、家の近くにある商店で買い物をします。
私も買い物は、食料品やマーケットなどに行って入手し、タンボグランデでは買えないものは次の項目で紹介する通り、車で一時間の州都ピウラに行って買っていました!
(個人的には、カフェオレが飲める落ち着けるカフェが一軒でもあったら、もっと過ごしやすくなったんだけどな~)
車で一時間の州都ピウラは何でもそろう都市
州都ピウラはペルーの中でも7番目くらいに大きい都市で、ショッピングセンターもあります。そのショッピングセンターにはフードコートがあったり、レストランが入っていたり、H&Mがあったり、携帯ショップがあったり、映画館があったり、ホームセンターがあったり、スターバックスがあったり、子供用の遊ぶ場所があったり、、!栄えていました。。!
町の中もおいしいチョコレート屋さんやアイスクリーム屋さん、かわいいカフェや何でもそろうマーケットなどあり、何でもそろう都市でした。日本のものはピウラでは買えないし日本食レストランまではなかったけれど、それらを抜いて生活に必要なものは何でもそろう感じ。
ホームセンターもあるし、洋服もたくさん売っているし、、日本からいろいろ持って行ったけれどそんなにいらなかったなって思うくらいなんでもそろいました。次住むとしてもは日本食だけもってペルー行くので足りると思います。
タンボグランデの人たちにとってこのピウラという都市はなくてはならない身近な都市。タンボグランデには便利なスーパーマーケットも大学もないので、多くの人が大学に通うためにピウラに住んだり、仕事のためにピウラに行ったり、ピウラに住んでタンボグランデに働きに出たり、行ったり来たりの生活をしていました。
片道1時間200円ほどで行けるこの距離感はビジネス的にも生活的にも切っても切り離せない距離感でした。
ペルーの田舎、ペルーあるあるの課題も…
一方、住んでみて感じるペルーの田舎やペルーあるあるの課題もありました。
経済格差が大きい
ペルーは著しい経済的成長を遂げている国として注目もされており、首都リマに関しては南米の中でもトップクラスの都市に値します。一方で、国内間の経済格差は大きくなる一方で、田舎の方までフォローが行き届いていないという問題も。。
経済格差が大きくなると、その貧しさや格差の大きさゆえに犯罪に加担してしまったり過激な思想を生んでしまうという懸念もあり、JICAとしてもその経済格差対策でいろんな職種を派遣しています。
そのうちの一つがコミュニティ開発であり、政府の手が行き届かないがちなエリアに派遣されたりしますが、タンボグランデもその一つでJICA海外協力隊のコミュニティ開発隊員としてその地域の課題に取り組むというのが私の活動内容でした。
男尊女卑が強くて暴力がある
男尊女卑の文化は根強く、多くのエリアでそれはあるそうなのですが、タンボグランデも特に集落の方ではその色が強くありました。多くの女性は主婦として家にいて、決定権を持っていないので旦那さんが決める決定にすべて従ったり、何か自分で考えて行動をしようというよりは常に受け身でした。
また、男性より女性の地位が低いことによる男性から女性へ暴力が生じることも多いそうでした。女性に教育をさせようという考えも薄く、男女間の教育に差も生じていました。
女性の早い妊娠と結婚
学生のうちに男女で付き合って、早くに妊娠してしまい、早い結婚も問題視されていました。早い子で13歳くらい、17歳くらいのママは結構珍しくもない町でした。
次に書く通り、早くに結婚してしまうと教育を受け続けることができず、教育レベルが下がってしまったり、子供に親から教育をすることができなかったりといった課題も生じます。
教育レベルが低い
上記の通り、田舎の方ほど教育に力を入れる人が少なく、地域間で教育格差が生まれていました。タンボグランデの教育のレベルが低いからと、ピウラの教育を受けさせる親もいました。
教育を受けた人はみんな都市部に出て行ってしまうので、タンボグランデに残る人の教育レベルが低くなってしまい、教師など給料が高くないので優秀な人ほど他の職についてしまいます。そうすると教師などのレベルも下がってしまい、さらに質の高い教育が受けられなくなるといった傾向がありました。
行政頼り、主体性がない
女性だけでなく男性に関しても行政頼りで主体性がないのが大きな課題としてありました。
収入を増やしたいけれど投資はしたくないから行政にお願いしたり、お金がないからとりあえず行政に苦情を言ったり、教えてもらっても行動に移さず次また行政がお金を出してくれるのを待ったり、、。
事業拡大のための講演会などもそれに参加するのは自分のためですが、そこに昼食や軽食、飲み物が出ないと人は参加しません。プロジェクトを始めるとなっても行政がお金を出さない限り自分らでお金を集めてプロジェクトを始める気はありませんでした。
そのため、苦情は言うのに努力はしない、そんな風に私は見えました。自分たちの生活を変えたくないならそれでいいかもしれないが、収入向上したいという気持ちがあってどうにかしたいと行政批判をする割りに自分たちでは何も行動を起こさないところに私は疑問を持っていました。
そういう課題を受けてこんな活動をしていました
上記のような課題は、ペルーにいる間にいろんな人から話を聞いたり実際に人々の様子を見たり暮らしに触れて感じたものでした。そして自分に出来ることは何かと考えたり問題や町のビジョンを整理したり分析したりしました。
その結果、主に農民向けのワークショップを企画したり子供に向けた教育案を作り実行する予定でした。これらは主体性を持ってもらうというのが活動の目標としてありました。
最後に
協力隊として出会った任地はかけがえのない故郷になりがちですが、私にとってもタンボグランデでの日々は忘れられない思い出で、私にとっては唯一無二の任地です。
どの任地にもその任地にしかない特徴や特色があり、一概に言えないからこそ奥が深いJICA海外協力隊の活動。とっても面白いですね。
以上が任地の紹介になります。一読ありがとうございました!