復興支援

復興支援のNPOで働いています。―福島と東京の間で生きるー

震災から10年。

私は今、福島の復興支援のNPOで働いています。

2011年、高校3年生の時、東日本大震災が起きて、そのあとの日本でみんな一生懸命生きる中、私もいろんなことを考え過ごしてきました。

当時暮らしていた東京では震度5弱で揺れて、その震度の大きさは今までで経験したことのない揺れでした。次の日に控えた国立の後期試験は中止となり、センター試験の点数が適当に割り振られて合格者が決定し、私は志望校に落ちました。大学の入学式は、なくなりました。日本は一気に経済がとまり、アルバイトを募集する場所もかなり減りました。日本にいた留学生は自分の国へ戻り、日本に留学する学生も一段と減りました。

これらのことは、私にとっては人生を変えたできごとではあったけれど、比較にならないくらい大変な状況に置かれている人が東北にいて、自分に降りかかった出来事はたいして自分でも大事には思いませんでした。それよりも、被災した国で生きていくことの方が、ずっとずっと、大変そうに感じたのを覚えています。

大学に入学して、自分に出来ることはないかといろんなことを考えたりしました。でも若干18歳の自分に、できることがほぼ思いつかず、被災した場所へボランティアに行ったりはしましたが、それくらいしかできることがなくて歯がゆく思っていました。

その後の日本に大きな影響を及ぼすことになったあの大きな震災。私自身、全然放っておくことは出来なくて、大学卒業後は復興支援に関われるようなNPOで働けないかといろんな場所に足を運んだりもしました。

一方で、東北に縁もゆかりもない自分が、そして社会人経験も積んでいない自分に、なにができよう…と思ったりもしました。身の回りの人が納得いくような説得も当時の私にはできませんでした。自分がなにができる!って自信を持って言えなかったし、迷いがあったから、選びきれなかったのでした。

自分がどのように力になれるのかも説明できなかったし、足手まといになるのも嫌だからと、まずは社会人経験を積むため、飲料メーカーに勤めてみることにしました。

東北への思いを抱えながら、いろんな知見を広げていきました。20代のうちに海外へ!という思いもあり、青年海外協力隊にもチャレンジしてみました。

そんなこんなで時間は経ち、今回ご縁があって福島に来ることになりました。そして気が付いたら、復興支援のNPOで仕事をしていました。働きたい!と志を得てから、8年ほど経っていました。

 

福島は、津波の被害だけではなく、原発事故の影響を大きく受けた場所でもあります。

「東京電力福島第一原発の事故」。

地名が、2つも入っています。

東京と福島。

そういう地名を前面に出した語られ方に違和感を抱くこともありました。

東京出身であり福島在住のわたし。

もしかしたら、東京出身である私に、いやな思いを抱く人もいるかもしれません。それくらい、いろんな思いを抱えた人がいる。ただ出身地は偽れないので、私は東京出身者として福島のためにできることをしていこうと思います。

復興支援のNPOでどんなことができるのか、求められるのか。

自分ができるタイミングで自分ができる最大限のことを、、、!

そういったこともこのブログで紹介していけたらいいなと思います。

応援してくれると、嬉しいです(^-^)